id:lotusight:20040502#p1に対する補足

以下に補足を掲げてみます。Google検索で偶然見つけました。公法の話ですけど、今回のイラク人質事件と本質ではかなり深い関わりを持っていると言えるのではないでしょうか。引用部が長きに亘ってしまいましたが、前回のエントリーと併せて読んで頂ければ幸いです。

「自己責任」の社会と行政法(平成10年5月28日 東北学院大学法学政治学研究所 第6回学術講演会における講演・東北大学教授 藤田 宙靖)
http://www.law.tohoku.ac.jp/~fujita/gakuinkoen.html

(太字部分は管理人による)

では、この意味での、「体質」の改造とは、一体、どのような意味での改造であるのであろうか?この点については、既に、各界の識者によって、様々の見地から、様々の言葉によって言い尽くされてきたところであるが、これを私の言葉で言うとすれば、集団主義的ないし団体主義的色彩の濃い国家・社会から、より自由主義個人主義的な国家・社会への移行、という言葉で表すことが出来るように思われる。これはまた、見方を変えて言えば、いわゆる「自己責任」の社会への移行、ということでもある。

行政と社会の関係という観点から見れば、これが専ら「規制重視」から「事後救済」への変化と捉えれられる。

日本国憲法の制定により、我が国においては、西欧流の近代的な市民社会の成立を前提とした、自由主義個人主義的国家システムの構築が行われた筈であったが、現実には、日本社会に残る様々の集団主義的要素(これは、しばしば、「ムラ」的要素とも呼ばれる)により、必ずしも、その徹底は見られなかった。このような集団主義的要素とは、例えば、日常生活においても見られる「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」式の生活様式から始まり、「談合体質」「行政指導」「根回し」、「和」の文化、更に、「制服・校則」「お受験」、「みんなで渡れば怖くない」から、果ては、「護送船団方式」、「世間をお騒がせした」ことへの責任、「顔を潰された」ことへの憤り、に至るまで、様々な形で表出しているものであって、要するに、「個」ないし「私」を殺し(あるいは少なくとも抑え)、自らの運命を、いわば無条件に集団(そしてそれを代表するオヤブン)に委ね(預け)、そして他面、この集団ないしオヤブンは、(これらの者が、この集団の掟ないし生活様式に忠実である限り)理屈抜きにどこまでも面倒を見なければならない、という社会のあり方である。このような社会においては、全員の「合意」ないし「和」が、ことを行うための前提となるところから、一部の指導者に一方的な権力行使が認められている社会よりも、一見、個人の意思がより尊重されているようであり、従ってより民主的であるように見える場面も登場する。また、一部の強者の突出を許さず、集団の構成員全体に利益を平等に配分することを重視することから、場合によっては、より社会(主義)的であるように見えることもある。そういった意味で、上手く行く限りにおいては、この社会は、個人的自由主義・民主主義を基盤とする西欧社会に比べて、その良いところはこれを備え、他方その弱点はこれを克服した、理想的なシステムを備えた社会として機能し得る面を持つ。これが、いわば、第二次大戦後急速な経済成長を遂げた「日本の奇跡」の秘密であった。

「『世間をお騒がせした』ことへの責任」とは、まさに今回の事件のことに他ならない。今回、件の三人と家族が肩を並べて謝罪するということはなかったが、結局このような行為は、大きな母集団から異物として排除されてしまった彼らが、我々"日本人"という集団にまた受け入れてもらうための"儀式"に過ぎない。

そのような"儀式"を通過することを件の三人や家族に強く求めながら、一方で個人的自由主義を背景とする「自己責任」を強く求める構図は滑稽であるとしか言いようがない。いくら自己責任のような論理を持ち出したところで、結局それも旧来的な集団主義を充足するための方便に過ぎないのだからである。私はその点において、現在の自己責任論が「目的を見失い」、或いは「手段の目的化」をしているのではないか、と前回のエントリー*1で言明した次第である。

以上見たような我が国社会における集団主義的体質の改造という問題を、国家という集団についてみるならば、こういった意味での集団主義が、ある特定の「国家」観と根強く結びついたものとして展開されてきた、ということが注目される。すなわち、我が国のこれまでの官界・司法界等においては、意識すると否とに関わらず、あるタイプの「国家」観(ないしは、少なくとも、かつて存在したそのようなものの残滓)が根強く存在しているように思われるのであって、それはもともと、近代ドイツ国家学上の「国家と社会の分離」という観念に由来するものであり、「公(ないし官)と私(ないし民)の峻別」という考え方にも繋がるものである。

詳しくはリンク元参照。ヘーゲルプラトンのような一元的国家観とマッキーバーのような多元的国家観の対立を論じている。国家と社会との間を分離して考えるとき、今回のような人質に対する損害賠償といった発想が生まれてくるのではないだろうか。

 まず、「国家」は、「社会」の横暴から弱者を救い、福祉をもたらすところにこそ、その存在理由があるのであるから、国家行政に携わる者は、常に、社会の横暴に対し警戒を怠らず、全力を挙げてこれを排除しまた防御するようにしなければならない。その際、私人の行う活動には、その性質上常に、秩序と安全を乱すおそれが内在しているのであるから、何よりもまず、そもそもそのような活動をさせて大丈夫かどうかを事前にチェックする事前規制が、不可避の手段となる。

これは今回の事件で言えば、海外への渡航規制と読み替えられる。

先に見たように、今日、伝統的な集団主義的文化からの基本的離脱が要請されているとして、それはまた同時に、少なくとも国政レヴェルで見る限り、ここに見た意味での国家観の転換を要請するものでもある。それは、一言を以て表わすならば、「社会に超越し、その存在自体を自己目的とする[国家Staat]の抽象的な観念」から、「自由かつ自立的な社会のため、その必要に応じて形成される政府機構[government]の具体像」(Horst Ehmke)への転換の要請である。現下の行政改革の諸理念も、つまるところは、ここに行き着く。そして、この「自由かつ自律的な社会」を成り立たせ、支えるものこそが、「自己責任原則」なのであって、それはすなわち、自己のことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う、という原則であるに他ならない。

国家が「社会に超越する」というヘーゲル的一元的国家観からの転換が要請されているとする。「自由かつ自律的な社会」に必要なのは「自己責任原則」であるというのは重要な前提である。

実際、「(専ら)社会の補完機能としての国家行政」又は、「自己責任社会への移行」ということから導かれることとして一般に考えられているのは、「行政による事前規制型の社会(システム)」から「事後救済型社会(システム)」への移行、ということである。この考え方の背景にあるのは、次のような認識である。すなわち、従来の我が国の行政は、根本的に社会(私人と言ってもよい)の能力を信用しないことから、私人が何かを行うについては、まずもって行政庁による審査・検査を受けさせ、その結果オーケーとなって初めてその行為に着手することを認める、という規制のパターンを広範に採用することによって成り立ってきた(なお、もう一つのパターンは、行政が重要と考える活動に補助金を出すことによって、社会ないし私人の活動を、行政の思う方向へ誘導して行こうとするシステムであり、これまた、自己責任の原則とは相反する現象なのであるが、この点については、ここでは深く立ち入らない)。例えば先にも触れた各種の営業許可・事業許可等の産業規制から、輸出入の管理・為替管理等の経済規制、更に、大学をはじめとする教育・研究施設の設置基準の設定・許可のような教育文化規制、自動車運転免許・車検制度その他の安全規制、等々、こういったパターンの規制行政は、行政各分野に極めて広く存在している。こういった規制は、一方で、いわば私人が間違いを犯すことが少なく、そういった意味で安全な社会を維持するためには有効である、という側面を持っていることは間違いないが、しかし他面で、社会の活力・創造力を抑制し、ダイナミックな発展を阻害する、という難点をも持っている。これは例えば、いわゆる「教育ママ」の良い面・悪い面についていわれるのと同じことで、教育ママは、子供は放っておいたら間違った方向へ行くものと信じており、また、自分は絶対に正しいと思っているから、何事も子供の自由に任せず、一々その行動に介入し、事前規制をする。その結果子供は、無茶な冒険をして怪我をすることもなく、また、遊び呆けて学校の成績が悪くなるということもなく、いわゆる優等生として育つが、自分で自分の行動につき責任を持って決断するという訓練を受けていないから、常に誰かに頼らなければ生きて行けなくなる。これまでの日本の社会では、至る所基本的にこういったパターンの現象がはびこっていたのであって、例えば、現在白日の下に曝されている、証券会社と大蔵省との関係などは、まさにその典型例であると言ってよい。そして、今日その必要が強く叫ばれている規制緩和とかビッグバンとかいったことは、要するにこういった意味での事前規制を撤廃して、もっと、社会(私人)の能力と力を信頼し、その自由な判断でことを行える社会を生み出そう、ということなのである。その意味でそれは、教育ママだとか、学校による一律の生徒管理を廃止して、子供がそれぞれに持っている能力を自由に伸ばすことができるような教育システムに変えなければいけない、という教育改革論とも、根本的に同じフィロソフィーに立った考え方なのである。こういった意味での、「行政による行き過ぎた事前規制」の問題性は、ここでも、はっきりと指摘しておかなければならない。

この文章自体は平成10年のモノなので、金融ビッグバンなどが声高に叫ばれていた頃である。

例えばまず、国は、国民の身体・財産の安全を保障する、ということについて、重大な責任を負っており、この機能を全く否定するならば、それは、いわば、国家というものの存在をそもそも必要としない、というのと同義である。問題は、国が、このような責任を、どのような方法によって果たすべきか、であるが、先にも触れたように、(地方公共団体をも含めた意味での)国家が、この課題を、自ら全面的な責任を持って完全無欠に果たさなければならないものであるとするならば、それを実現する方法は、必然的に、(自己を含めた)人の生命・身体・財産に少しでも危険を及ぼすおそれのある行為の全面的な禁止と、事前の許可制度等を含む徹底した取り締まりでなければならないことになる。先に見たように、「自己責任」原則に立つ社会においてはこのような考え方はもはや採られないものであるとして、他方でしかし、国家機能の「補完」性を、いわば行政法を不要とする、先に見たようなシステムにまで、極端にまで徹底しなければならないか、と言えば、それは必ずしもそうであるとは言えないであろう。我が国での経験に照らしていう限り、製薬業だとか食品業のように、その生産物を摂取することが直接に健康被害に結びつき得るような産業活動については、なお、行政による事前の厳しい規制の必要が残されている、といわざるを得ない。それはそもそも、今日、市販されているある食品や薬品に有害な化学物質が含まれていないかどうかということは、一般の市民には判断できないのが通常であって、それは、科学技術の発達が然らしむるところであり、我が国のみならず、世界のいずれの国であっても、変わらない問題だからである。つまり、「自己責任」原則が妥当するためには、それを可能とするための、前提要件があるのであって、こういった前提が充足されないままに、いたずらに「自己責任」原則を振りかざすのは、許されない、ということである。

ここは非常に重要であると思う。藤田氏は「『自己責任』原則に立つ社会においてはこのような考え方」、即ち「人の生命・身体・財産に少しでも危険を及ぼすおそれのある行為の全面的な禁止と、事前の許可制度等を含む徹底した取り締まり」は「もはや採られないものである」としている。つまりイラクのような危険地域に渡航することも何もかも全てを規制することはできない、そこから先は自己責任であるということだ。しかし一方で、自己責任原則が妥当するには、一般の市民には判断できないといった前提が必要だとしているのである。

今回の事件では、イラク渡航の危険性は一般の市民でも十分判断しうるほどに明白であった。この点においては前提を充足するものだと考えられる。しかしながらその渡航が、結果として中央政府に対し政治的要求までする人質事件に結びつくことは、一般の市民で十分に判断しうる程のことであろうか。彼らはイラクで射殺されたりすることは予測し得ただろうが、人質として政治交渉の材料に使われることまで予測せよ、というのは酷な話ではないだろうか。そのような可能性を検討し始めたらキリが無いし、それこそ安全な場所に居ても何らかの事件に巻き込まれる可能性がゼロとは言えない。

件の三人は予測される範囲内での自己責任原則の適用は容認していたと考えられるが、それではその自己責任原則の適用範囲というものを、我々が「自業自得だ」として際限なく広げていくことには無理がないだろうか(その点については以前のエントリ*2で自己責任の限界として少し書いていた)。つまり、自己責任原則の適用範囲の拡張において、常に原則適用に必要な前提が充足されるとは限らないと思うのである。その点においても私はやはり自己責任論に懐疑的にならざるを得ない。

文の位置が前後するが、最後に、

しかし、この一見した民主性は、実は他面で、大勢に対し個人が正面切って異論を述べる事態があり得ることを前提ないし想定しないものであり、その意味において西欧流の民主主義とは大いに異なり、また、一見した社会(主義)性は、そういった利益の配分が、専ら、特定の集団内部限りでの配分としてのみ考えられ、集団外の者に対しては、むしろ徹底的な差別を以てすら臨むことを許すものである点において、西欧流の博愛・平等の精神とは、これまた大いに異なるものであった。今我が国社会が求められているのは、こういった意味での集団主義的・団体主義的色彩に染まった、あらゆる制度及び人の改革なのであって、行政改革というのも、こういった背景を持ったものであることに、特に留意をしておくことが必要である。こういった要請は、明治維新そして第二次大戦における敗北に際して、西欧諸国から最も鋭く突きつけられたところであり、我が国の近・現代史は、基本的にはまさに、国を挙げてそれに応えようとする過程そのものであった。しかしその成果が未だ不十分である、ということが、21世紀を目前として、再度、白日の下に晒されつつあるのだ、というべきであろう。現下の改革が、明治維新及び第二次大戦の敗戦に並ぶ、国家の浮沈を掛けた第三の大改革である、ということが、時にいわれるのは、まさにこういった意味において、象徴的である。

この意味において「事前規制型社会」から「事後救済型社会」への転換は極めて重要であると思う。今我々が直面している「第三の大改革」において、19世紀半ばの改革及び20世紀半ばの改革と最も異なるのは、国家ないし統治機構の変化のみならず、国民が国家とどう対峙するかという、国民側の意識の変化をも必要としている点で大きく異なるのではないだろうか。

*1:id:lotusight:20040502#p1

*2:id:lotusight:20040412#p1