最近面白かったwebサイト

労働―セキュリティ―信仰

自分と身内だけは、というロジックは、勝ち組と負け組の分断線を強化こそすれ、融解はさせないからだ。雇用や労働を巡る「勝ち組/負け組」の言説が強力なのは、誰にも「勝ち組」への路が開かれている、という勘違いを持ってもらえればその分断自体は肯定されてしまうからだ。

こうした分断はおそらく、セキュリティの強化という方向でも作用している。圏外からのひとこと経由で読んだ無事の記の3/1 付けの日記、「フリーターとセキュリティ型権力」では、酒井の『自由論』を引きつつ、「新たな敵」としてのアンダークラスがセキュリティや(おそらく東浩紀さんの考えでは情報技術によるエンタイトルメントを用いて)排除され、かつその「排除」された者どうしがいがみあうようになる、という見方を提示している。

最近見たWebサイトの中で一番面白かったところ。保守的という立場は自己に対して欺瞞的な傾向が強くなりがちな気がする。論理が正しければ全てが許されるのか、どうなのか?