ラストサムライ(2003米)

最後の方に若干ネタバレ有りです。
悪い意味で典型的なハリウッド映画であったと思う。派手な演出と分かりやすいストーリーで、見た後に何も残らなかったというのが正直な感想である。

これほどお金をかけて作るのであるから、時代考証はしっかりと為されているのであろう。私の胡乱な歴史知識など歯が立たない程に調べた上でストーリを作ったに違いない、と思ったのだが、それは裏切られた。時代考証や設定について重箱の隅を突付くようなことを言っても、それは無粋だという向きもあろうが、一つだけ言わせてもらいたい。

この映画はインディアンと武士を勘違いしているのである。ストーリーの中盤で主人公が侍たちの「村」に囚われる場面があるのだが、この小さなコミュニティに於いて何故か、武士の渡辺謙が中心的存在、言うなれば長になっているのである。すなわちインディアンでいうところの「部族長」である。

これは明らかにおかしいではないか。私の寡聞な日本史の知識の中で、こんな話は聞いたことが無い。近代以前の日本の方が分権的であったとはいえ、少なくとも江戸時代に武士=部族長みたいな状況はあるわけない。

リンク先のサイトの「映画紹介」にもこう書いてあった。
はるか遠く離れた地では、もう一人の戦士が、自分の信じてきた生き方が危機にさらされていることに気づいていた。彼の名は勝元(渡辺謙)。天皇と国のために代々命を捧げてきたサムライ一族の長として深く尊敬されている男だ。
「サムライ一族」、この言葉がまさにピッタリだ。寧ろ公式サイトでこのような意味不明なレトリックを自ずから持ち出している時点で、「武士=インディアン」のロジックは過誤ではなく、承知の上でやっているということなのかもしれない。

アメリカ人であろう監督その他の人々が武士道をテーマに映画を作ろうとした時、武士、武士道、藩閥政治明治維新天皇制などの概念はそのままの状態では呑み込む事ができない。それら理解し難い概念を分かりやすく置き換えるために、「サムライ一族」などという、云ってみれば"無茶な"レトリックが持ち出されてきてしまったのだろう。

しかし、そんな都合のいいレトリックを持ち出してきてまで作られた映画が、こんなものではハッキリ云って退屈といわざるを得ない。結局は金太郎飴だ。「サムライ一族」をテーマにもってこようが、火星人襲来をテーマにしようが、巨大隕石接近をテーマにしようが、「ダメな奴は何をやってもダメ」状態だったのである。

「サムライ一族」という"斬新な"概念を持ち出したこと自体は、歴史考証の誤りとして、百歩譲ってまぁ良しとしよう。しかしストーリー自体がイケてなかった。セリフがダメすぎである。

ここからネタバレ有り!
特に嫌だった場面について書く。

最後の最後で、官軍と渡辺謙扮する勝元達の軍隊が交戦する場面がある。戦闘の最中に勝元は死んでしまうわけだが、死の際でオルグレン大尉に看取られながら残した言葉が、
「完璧だ・・・」
である。このセリフはひどいと思う。なんかもっといいセリフはつけられなかったものなのだろうか。恐らく「君の武士道は完璧だ」と云う意味だったのだろうが、武士道が完璧だというのはどういうことだ?意味が分からない。「武士道とは死ぬことと見つけたり」だから、完璧なのか?それともオルグレンが立派な「サムライ」になれたから完璧なのか?それにしても、もっといいセリフがあったろうに・・・。英語だったら"Perfect..."だったのだろうか?英語の発音が上手くできて褒めてくれる先生みたいである。

他に気になった場面として、天皇がオオムラに対して「ならば貴様はその財産を投げ売って人々に分け与えたまえ!」とお怒りになる場面(台詞はうろ覚えなので正しくないです)。

明治天皇は何と度量の狭いお方なのでしょうか。オオムラはこの映画の中では私腹を肥やす悪党なのかもしれないが、それであっても財産を投げ打てとはあまりに非道いお言葉。どんな金であろうがオオムラの物はオオムラの物じゃあないですか。

"万人直耕"状態の勝元の「村」といい、天皇のオオムラに対する私有財産を投げ打て発言といい、武士道というのは明治維新の裏返し、近代私有財産制と資本主義に対する批判精神のことなのかと言いたくなる。

さて、話は飛んでしまったが結論を書くと、要するにこの映画は
アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のためのカタルシス映画」
であると思う。
カタルシスというのは、即ち、新大陸でインディアンを殺してきたという彼等の忌まわしき記憶を解放しそれに対する一応の答えを与える過程で彼等を浄化する、ということである。そういう意味でこの映画は彼らのなかで自己完結してしまったと云える。「サムライ一族」等と云うレトリックを持ち出してくるから、日本人が「あれあれ、我々にも関係があるのでは」と思って、映画館に足を運ぶと、気がつけばアメリカ人の自己満足に付き合わされている。まあそれはそれでも構わないのだが、「サムライ一族」という謎の概念から「これが武士道だ」と理解した人々が、私には全く理解できなかった。