id:lotusight:20040518#p2補足

ウォルフレンひさびさに読みたくなったので、id:lotusight:20040518#p2を補足。。以下にいくつか引っぱりだしてみます。というかひとつ誤解してました。ウォルフレンの本が出たのは正しくは1990年。文庫版が1994年だと思われます。つまりバブル真っ只中で出版されたわけですか。

日本全体もまた批判的に描かれている。「日本には責任ある中央政府は存在しない」「日本では公私の境界があいまいである」「日本経済が自由主義経済に属するというのは虚構である」など、彼が日本を特徴づけるために選んだ言葉は、「無責任」「あいまい」「非自由主義的」など、否定的な言葉であった。同書が出版される以前の日本論の多くが美点を数え上げるのに熱心であったこととは、好対照をなしている。日本の成功物語を10年以上も聞かされてきた多くの日本人は、否定的な評価と挑発的な言辞に満ちたウォルフレンの本を、新鮮な驚きをもって読んだ。

だが、レトリックを離れて、分析の内容だけを取り出して読めば、ウォルフレンは客観的に日本をとらえているといってよい。たとえば、次の指摘は彼の日本観察の中核をなしている。「日本では、何世紀にもわたり、権力を分け合う半自治的ないくつかのグループのバランスをはかることによって、国政が行われてきた。今日もっとも力のあるグループは、一部の省庁の高官、政治派閥、それに官僚と結びついた財界人の一群である。それに準ずるグループもたくさんあり、たとえば、農協、警察、マスコミ、暴力団などである」。ここで彼がいわんとしているのは、日本政治が、政治家や官僚などの公的なアクター、そして企業やマスメディアなどの私的アクター、要するに公私にわたる複数のアクターによって運営されているということであった。このような状況を、副題においては「国家なき国(stateless country)」という語で表現し、本論においては「国家とは言い難い、あいまいなシステム」などと言い換えて表現したのである。*1

しかし、ここで最も深刻であるのは、個人主義的権力モデルとある意味で対極に立つ構造的権力の問題が浮上してくることである。それは極端な場合、個人主義的モデルに見られた権力と主体・責任問題を表裏のものとして考えるという発想そのものを根こそぎ破壊してしまいかねない重大な問題を提起している。それというのも、もし、構造が全てを決定するとすれば、権力は自由と責任の問題というよりも一種の運命、宿命になってしまうからである(構造決定論)。この問題はマルクス主義において主体性論として繰り返し現れた。ニコス・プーランザスとラルフ・ミリバントとの間で行われた論争においては国家と社会階級との関係が争点となり、そこでは、国家権力を階級関係という客観的構造の現れととらえ、政治エリートを「システム」が要求する政策なりの単なる運営者、執行者とみなすか、それとも、国家権力を階級関係という客観的・構造的関係から区別し、多様な行使の可能性を前提にした自由と責任の領域の問題として取り上げるべきかが論戦となった。

マルクス主義のこうした議論は今では迂遠な議論のように思われるかもしれないが、例えば、カレル・ヴァン・ウォルフレンが『日本/権力構造の謎』で取り上げた日本における「システム」の支配という視点は、基本的にこれと異なるものではない。この著作の意図は日本における権力構造がいかに作用しているかを暴露することによって、そのデモクラシーという外観に惑わされないよう内外の注意を喚起し、さらにはその改革を促すことにあった。そこに描かれた「システム」の支配は教育から司法、日常生活に至るまで全面的に貫徹し、個々人はその前に身動きのとれない、無力な状態に陥っている姿であった。「システム」はあたかも宿命のように個人の動きを封じ込め、その結果、変革を試みようにもそれを担い得る主体が見出せず、その手がかりさえ見えないという新たなジレンマに遭遇せざるを得ない。それが「日本の自己変革は不可能だ」という診断になるかどうかはともかく、構造論中心の権力論には自由や主体の問題をどう位置づけるかという課題が横たわっている。*2

ウォルフレンの本がインパクトをもって捉えられたのは、80年代に入っても失業率を低く抑えることができたという日本の経済的成功に対して肯定的評価が出る中での批判であるという点と、彼の本が出て間もなくバブルが崩壊し日本の綻びが明らかとなり、ウォルフレンの批判がいよいよもって現実味のあるものとして捉えられたからなのかもしれない。

ちょっと引用ばかり長くなりましたが、興味をもたれた方は是非ご一読を。