運転は

控えるようにしているのだが、今日は用事があって車で出かけた。久しぶりの首都高速。神奈川線から平和島JCTを経て東京線、JAL本社を横目に見つつ、浜崎橋→汐留と来てKK線八重洲線→5号池袋線というルート。KK線八重洲線など"首都高速の盲腸"ぐらいに考えていたのだが、"盲腸"なだけあってか、江戸橋JCT方面へ向かう道路とは比較にならないぐらい空いていたのである。八重洲線の地下通路なんていつ何時通っても、殆ど車を見かけない。まぁ空いているに越した事はないのであるが。

とまれ、日曜日の午前中という時間的な要因もあってか、恐るべき速さで都心を駆け抜けることができたのは爽快であった。気が付けば、神奈川線の料金が500円から600円に値上がりしていのだが、これぐらいの時間短縮が可能になるのであれば、首都高速道路公団にお金を払う気も起きるというものである。

帰途はのんびり一般道で帰ろうと思い、国道17号で帰ってきたのであるが、道すがら同道の起点・日本橋を通った。ここを車で通るといつも思うのだが、日本橋の上に首都高速の高架橋が"覆い被さって"いる様は本当にいただけない。「日本橋ハ江戸名所ノ随一ニシテ其名四方ニ高シ」と橋の袂に書かれているそうだが(参考:東京地名考 -上- ISBN:4022603496)、今となっては痛ましい限り。

ところで現在の中央区は、旧日本橋區と旧京橋區が統合されて誕生したものである。統合にあたっては、日本橋區民が區名に愛着を強く持っていたことから、日本橋區の統合後地名については、「日本橋何何町」と呼称することにしたそうである(参考:前掲)。それゆえ現在、日本橋茅場町日本橋小伝馬町などの長ったらしい地名が付いているそうだ。そこまでしてこだわった日本橋區民は、いまの殺伐とした日本橋を見てどんな風に思うのだろうか。