イラク人質解放:「週刊新潮」の中づり広告目隠し


イラク人質解放:「週刊新潮」の中づり広告目隠し

一方、週刊新潮の早川清編集長は「プライバシーにかかわるかどうかは読者が判断すべきだ。3人の経歴や思想は知る必要があり、プライバシーの侵害とはまったく違うケース」と話している。

新聞雑誌等のあらゆるメディアで、人質の氏素性にまつわる情報が洪水の如く入ってくる。それは事件の最中、事後を問わずに提供されつづけている。だが思うに、殊人質事件における価値判断をするにあたって、それは我々の判断を曇らせたり、混乱させるばかりであったのではないだろうか。提供される情報はその人間のごく一部でしかなく、それらの情報を元にして、そもそもたった一週間やそこらで捉えられないモノを類型化して、それだけで彼らについて分かったつもりでいる。このような作業は、我々が毎日やっている事である。洪水のような情報氾濫の中で生きざるを得ない我々は、そう成らざるを得ない。だからそれが悪いとは思わない。だが今回の事件に関して、彼らが市民活動に熱心であるとかそんなことは、価値判断に不要な前提・情報だったと思う。もしそれら氏素性にまつわるパーソナルな情報を抜きにしていたら、もう少し考え方も変わったのではないだろうか。「思想がかってるから助けなくてよい」なんて大手の個人ニュースサイトに書いてあったが、そんな巫山戯た言説もなかったろうに。ロールズの「無知のヴェール」じゃあないが、そんな仮定を妄想してみたのであった。

(とは言ってみるものの、3人解放時の動画でタバコを吸いつづけていた郡山氏の"行動"には辟易させられるなぁ)

参考:id:lotusight:20040412#p1