やっぱり靄々は拭えず

相変わらずちょこちょこと読んでるわけで・・。

松沢呉一・黒子の部屋 お部屋687●自業自得って…

こういう人たちは「自己決定・自己責任」という言葉を理解できもせずに使っているのではないかと疑えますが、あの3人に「自己決定・自己責任」という言葉を押しつけるのは、「池袋事件」(『売る売らないはワタシが決める』参照)の裁判官と同じ発想です。「ホテトル嬢をやっていたんだから危険な目に遭うのは覚悟の上」として、殺されそうになっても正当防衛を認めない。
しかし、「自己決定・自己責任」はそういう目に遭ったことについて、犯人以外の第三者のせいにすることができないだけのことで、救済されることや正当に防衛することを放棄したものでは全然ありませんよ。

たとえばニューヨークに行って強盗に金をとられた場合、「アメリカに行くことを許した政府と旅行代理店が悪いのだから、金を返せ、慰謝料寄こせ」とはならないだけのことで(場合によっては代理店に責任が生ずることもありましょうけど)、「助けを求めてはいけない」なんてバカなことはなく、政府としては国民の命を守るのは当たり前です。そのために税金を払っているんですから。
寝タバコでの火災は誰のせいでもなく自分のせいですが、それでも消防隊は消化活動をしなければなりません。酔っぱらってうっかり駅のホームで寝てしまって財布を抜かれたら、誰のせいでもなく自分のせいですが、警察は犯人を捕まえなければなりません(「もっと大事な事件があるのに、そんなもんにかまってられるか」ということはあるにせよ)。夫婦喧嘩で肋骨を折ったら、誰のせいでもなく夫婦のせいですが、それでも救急車は病院まで運ばなければなりません。
それぞれ自分の行為によって生じ、その責任は自分でとらなければならないにもかかわらず、救済される権利があります。そのための税金ですから。
そのことをわかっていない人たちが「自己決定・自己責任」「自業自得」などと言っているのではないですか。

したがって、政府が自衛隊を派兵したことによって彼ら3人が拘束される要因を作り出したにせよ、拘束されたことの責任を直接には政府がとる必要はないでしょう。その責任がないだけのことで、彼らを救うために尽力する責任はあります。それをやらなかった時には当然非難されるべきです。

彷徨い読めば読むほど混乱する、我が脳みそ万歳。